【目安箱】朝日「炎上」で再確認 科学に基づく原発事故検証を

2021年2月24日

朝日新聞の記者が2月17日に書いた記事がSNSで「炎上」した。

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から、3月10日に10年が経過する。その特集の一環で、朝日新聞は「双葉病院、50人はなぜ死んだ 避難の惨劇と誤報の悲劇」という記事を発表した。これに問題があった。

この事件は、原発事故の際に双葉病院(福島県大熊町)に入院していた高齢者を中心にした患者の避難が遅れ、医療機器などが使えずに50人ほどが亡くなった出来事だ。政府事故調査報告書によれば、大熊町が避難完了と誤認し231人の患者が大半の医療スタッフがいなくなった病院に取り残された。政府による突然の避難指示と、自治体の準備不足などで大きな混乱が生じたことが原因だ。事後的に言えることだが、この事故による放射線量では、健康被害は生じず、急いで避難する必要はなかったとみられている。

しかし、この記事では、「自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができなかった」と事実を歪曲して報道。さらに執筆者の記者がなぜか防護服を着て双葉病院跡地を訪れ、その写真と映像を記事に使った。同記者は、過去にツイッターで、「科学を振りかざして、これが真実と言われてもね」と、原発の放射性物質の処理水について、他紙の冷静な報道を批判していたことも、SNSで掘り出された。取材対象に「寄り添う」と強調しながら、大量の批判に弁解を続け、さらに炎上する悪循環に陥ったのだ。

朝日新聞は放射能の恐怖を誇張した「プロメテウスの罠」という連載記事を2016年3月まで連載し、東電の社員が原発事故を際に逃げたという誤報を出した後で謝罪する騒ぎを起こした。同紙が事実に基づかないイデオロギー的な報道をして社会を混乱させるという、同じ失敗を繰り返すのは、組織として何も反省していないからだろうか。

◆過重な対策をもたらした「情報汚染」

東電の原発事故を巡り、誇大情報の拡散とそれによる恐怖の醸成、さらにメディア報道による混乱の助長は本格的に検証されていない。この原発事故で、放射線による健康被害は起きないと、直後から予想され、実際に10年経過して起きていない。その主張は、政府や国連科学委員会、国際保健機関(WHO)などが事故直後に公表したように医学や放射線学、他の原子力災害の調査に基づく科学的な根拠があった。

しかし過剰と思わざるを得ない放射線防護策が取られ続け、風評被害もなかなか消えない。当時の民主党政権によって、科学的根拠のない「年1ミリシーベルト」の被曝基準が設定され、除染、避難、食品検査が行われた。また避難指示の解除が遅れ、それによって東電の補償も巨額になった。その後の自民党政権も同じ政策を続け是正しない。一連の政策は民意を反映したものだが、その民意はデマや社会に満ちた恐怖に影響を受けている。いわば「情報汚染」が、政策に影響を与えてしまったといえよう。

こうした政策は、費用や手間に見合った効果があったかも疑わしい。福島県内の原発事故関連死は今年2月までに2317人。また福島事故の費用総額は経産省の見積もり(2016年)で21兆5000億円に上る。事故対策と福島復興を行うべきなのは当然だが、過剰な避難で健康被害が発生し、さまざまな放射線防護策で支出が巨額になってしまったわけだ。対策費は国民の税金と電気料金から支出される。

福島事故の混乱でまず批判されるべきは事故を起こした東京電力と、対策を誤った政府である。しかし二次災害と言える混乱を引き起こした情報汚染の責任の一部は、誇大情報の拡散者が負うべきではないか。そのきっかけを作ったのが、既存のメディアだと考える。

◆感情に流されない、「錨」としての科学

筆者は原発事故の後の2011年秋に、事故を巡って歪んだ情報をばら撒いていたある雑誌経営者に「評判を落とすからやめたほうがいい。科学的知見は大量に出ており、簡単に間違いを検証される」と、忠告したことがある。すると、彼は私に「原子力ムラの肩を持つのか。原発は悪だ」と激昂した。感情で物事の是非を論じる人の危うさを感じ、それ以降、彼に近づくことをやめた。朝日新聞記者の態度とよく似ている。正義である自分への批判は許さないし、それゆえに問題があっても是正しないのだ。

しかし現象は、見る人によって解釈を変えてしまう。ある人の掲げる解釈、例えば「正義」を、他の人が受け入れるとは限らない。そして解釈には感情が影響を与えてしまう。荒海のように、現象が押し寄せる現実の世界では、感情によって行き当たりばったりの解釈や、それに基づく判断をすると、人は容易におかしな方向に漂流し、溺れてしまう。

現実の荒海の中で、人を支える錨の役割をするのが「事実」であり「科学」であろう。それに基づき、解釈と是非の判断を行えば、現実から離れてしまうことも少なくなる。放射能と健康の関係について、医学や放射線学の知見はこれまでもあり、今も福島で検証が続いている。そうした事実を尊重して、この原発事故に向き合うべきだ。

東日本大震災と福島原発事故から10年。これを機に、メディア関係者はこれまでの報道を改めて検証すべきだろう。その際、科学的な知見は重要な意味を持つ。失敗した原因を示す道具にもなるはずだ。一つの考えに凝り固まった人を落ち着かせるのは難しいが、今からでも遅くはない。客観的な科学の力を使えば、原発事故後の失策は少なからず是正できるはず。そう信じたい。