【特集2】求められる情報災害への備え

2021年4月3日

福島に生まれ、この地と縁の深い開沼博准教授は、震災後の被災地の姿を見続けている。これまでの10年を振り返りながら、今後の「東北」について寄稿した。

【特別寄稿】開沼 博 /立命館大学准教授

この10年を振り返れば、後悔することは無数にある。とはいえ、10年前のあの当時には全く見通せなかった未来の姿が、いまそれなりに見えてきているのも事実であり、その点では達成感が全くないわけではない。

3・11直後は、とにかく目の前で起こっていることを書き残すことに注力していた。被災地を回っては、そこで知ったことを雑誌や書籍に手当たり次第に記述していた。その後3年、4年と時間が経つと、何が起こっているのか、状況がだいぶ見えてきた。統計資料を集め、現場でのフィールドワークを改めて行い、全体像を俯瞰的に捉える作業を行うようになった。拙著『はじめての福島学』(15年)、『福島第一原発廃炉図鑑』(16年)はその一つの成果物だった。その頃には既に3・11の多くの問題が明確になった。当初は「何が分からないかが分からない」状態だったところから「何が分からないかは分かる」状態に変化していった。これは大きな前進だった。

未来を探る活動が活発化 得られた重要な教訓

住民の多くも、単なる受動的な被災者ではなく、日常に戻っていた。自ら能動的に未来を探る活動に関与する動きが活発になってきた。そこからは、旧避難地域で開催され続けている最大規模の住民参加型イベント「福島第一廃炉国際フォーラム」のプロデュースをはじめ、住民との対話や事実共有の機会の創出に関わり、また大学教育の中での被災地訪問、地元高校での学びの機会の提供なども継続的に行ってきた。災害科学科ができた宮城県多賀城高等学校、休校になった避難地域内の高校の伝統を受け継ぎ新設された福島県立ふたば未来学園高等学校などには何度も訪問する機会をもらうようになり、行くたびに生徒の変化と教員の熱心さを感じた。

昨夏、青森から、東北と関東をわける勿来の関を超えるところまで、車で沿岸部を走った。いまも復興工事が続く部分もある一方、新たな街や道路、防潮堤などが整備され、よくここまできたなと思わされる。三陸道や常磐道の一部はこの10年に復興の文脈の中で開通した。道路に限らず、10年前にはなかった人の交流の基盤が整えられてきているのを感じる。

10年の「節目」がいかなる意味を持つかとの問いには、私は個々の「記憶・記録が一塊の歴史に変わっていくタイミングだ」と言ってきた。あの時の経験は、そこに関わった人、あるいは遠くからそれを眺めていた人にとっても衝撃的で、多くの教訓を残せたはずだ。しかし、その教訓が広く共有されているとは言えないのではないか。

例えば、福島県では地震・津波で亡くなった人が1600人ほどであるのに対して、避難の過程・長期化の中で亡くなった人=震災関連死は2300人を超える。つまり、「災害から身を守るためには避難が必要だ」という常識的感覚に反する現実が立ち現れている。

これは重要な教訓だ。例えば、数十年内に高確率で起こると言われている首都直下地震、南海トラフ地震の際には、3・11よりも大量の避難者が発生することが想定される。人が集住する地域の被害が大きければ、避難の完了までに大きな混乱が生じ、十分な住居の確保にも時間がかかって避難期間が長期化する可能性もある。その時に、単に「みんなで避難所に行きましょう」と備えるだけでは解決されないさまざまな問題が生じるだろう。

だが、人命に関わるこの単純で、最も重要な教訓がどれだけ広く共有されているのだろうか。実際に身の回りに震災関連死をした人がいるような個々人の経験を超えて、この事実を歴史に残すことを私たちは10年のうちにはできてこなかった。達成してきたことを振り返り、何を歴史に残していくべきか、いま改めて考える必要がある。

高まる利便性と高まるリスク 冷静な議論で対「情報災害」

これは当然、エネルギーの問題についても当てはまることだろう。電力自由化、FIT(固定価格買い取り制度)の導入による再生可能エネルギーの拡大、北海道胆振東部地震や一昨年の台風19号をはじめとする災害による大規模停電。激動の10年間の中での経験をどれだけ業界内、あるいは広くエネルギー消費者の中で共有すべき歴史として残すことができてきたのか。それぞれが顧みるべきことは少なからずあるだろう。

そんな東北の10年を振り返りながら、これからの10年を迎えるにあたり何が必要か。これもまた多様な答えがあり得るが「情報災害」への対応力は意識されるべきだ。現代の災害・社会的危機は、物理的な災害そのもののみならず、災害に付随する情報の混乱への対応も、私たちに負担を掛けてくる。後者は情報災害と呼べる。ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、自然が生み出すリスクとは別に、科学技術など人間自身が作り出したものが生み出すリスクが存在すること、そして、後者が人類を脅かすようになっていることを論じた。例えば、原発事故、薬害、金融危機などはその代表例だ。

ここで重要なのは、人類の生活が便利になるにしたがい、そのリスクも高まるということだ。コロナ禍はもちろん自然のリスクたる感染症であるが、これがグローバル化の進展による人の移動や情報化の中でのニセ科学・陰謀論などの流布と結びつくことでより制御しにくくなっていることは、まさにいま起こっていることだろう。

そもそも、東北は情報の受発信に弱い地域だった。それを最も象徴するのがインバウンドの実績だ。コロナ禍の前までだが、日本を訪れたインバウンド観光客のうち、東北地方に訪問・宿泊する人はどのくらいいたか。観光庁発表の東北6県の外国人延べ宿泊者数によれば、その割合は1・5%だ。日本地図の中で占める東北の面積と見比べればあまりにも小さな数値だ。もちろん努力をしてこなかったわけでも、魅力がないわけでもない。でも、その努力・魅力はほかの地域でも各々積み重ねてきたものでもあった。その情報の受発信の競争の中で東北は圧倒的に負けてきたという事実は重い。そして、当然、3・11による国際的なイメージの悪化がこの数字の伸び悩みの一因となっていることも改めて言うまでもない。 3・11により、風評被害の問題にとどまらない情報の混乱はいまも続き、本来なされるべき客観的かつ冷静な議論が進まず、いまに至っている側面がある。エネルギーを巡る国民的議論もそこに含まれる。いくら被災地で表面的に建物、インフラが整備されたとしても、情報災害の爪痕はまだまだ残っている。自然災害への対応力を高めるべくエネルギーの安定供給の体制はさまざまに整えられてきただろうが、情報災害への対応力を高める取り組みに見えるものは少ない。いまに至る3・11後の情報災害の爪痕を、情報受発信の力に劣る東北が跳ね返す拠点になれば、それは大きな成果なのではないだろうか。




かいぬま・ひろし 福島県生まれ。 東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。 現在、立命館大学准教授。著書に『日本の盲点』『福島第一原発廃炉図鑑』『はじめての福島学』『漂白される社会』ほか。