【特集2】ガス業界一丸で臨んだ未曽有の復旧 現場で生きた過去の教訓

2021年4月3日

東日本大震災では都市ガスも大規模な供給停止に直面し、復旧には応援隊を含む多くのマンパワーを要した。津波被害が甚大だった一方、過去の震災経験を踏まえた地震対策の有効性が確認される機会にもなった。

「二度と全面供給停止はしない」―。仙台市ガス局は、こんな合言葉で東日本大震災の教訓を継承している。

10年前の3月11日、巨大地震と津波により、被災地の都市ガス設備は大規模な被害を受けた。東北・関東8県16事業者で都市ガスの供給停止が生じ、復旧対象戸数は約40万2000戸に及んだ。導管など供給設備の被害は過去の災害でも経験があったが、特筆すべきは津波により一部の製造設備が機能停止に陥ったことだ。

津波で機能停止に陥った仙台市ガス局港工場

当時35万件超の都市ガス需要家を抱えていた仙台市ガス局の港工場には、最初の地震から約2時間後、仙台港で7.1mを観測した津波が襲来した。受電設備の冠水や護岸の一部が流されるなど被害は甚大で、津波による国内ガス製造工場の長期間の機能停止という史上初の事態に直面。供給区域内では地震発生直後に約7万戸の供給を緊急停止し、最終的には全面供給停止(35万8781戸)に追い込まれた。ガス局は「宮城県沖地震(1978年)の経験などを踏まえた地震対策には有効な面もあったが、津波による被害は想定を超えるものだった」(経営企画課)と当時の状況を語る。

延べ7万2000人の力結集 おおむね1カ月で供給再開

LNGタンクや主要導管網の被害は大きくなかったものの、海上輸送に関わる設備の被害は深刻で、都市ガス原料の確保が当面の課題となった。そこで新潟〜仙台パイプラインを活用し、3月23日に新潟から供給されたガスの受け入れを開始。災害拠点病院への供給再開を皮切りに、復旧作業を本格化させていった。

早期復旧を目指す上では、日本ガス協会(JGA)応援隊の力が欠かせなかった。阪神・淡路大震災(1995年)に次ぐ規模で被災地に隊員を派遣。特に仙台市ガス局管内には人手を要し、北海道から九州までの49事業者、延べ約7万2000人もの隊員が赴いた。先遣隊は13日には現地入りし、その後閉栓隊、修繕隊、開栓隊と作業の進捗に合わせ次々と隊員を派遣。安全確保や二次災害防止に努め慎重に作業しつつも、一気にスピードアップしていった。

順調に作業が進んでいた最中、4月7日に本震と同規模の大きな余震が被災地を襲い、再び供給を緊急停止する。ただし、この際のガス局管内での停止は5000戸程度と限定的であり、地震だけならば規模は大きくとも全面供給停止が回避できたことを示唆した。

それ以降は大きなトラブルはなく、16日には避難勧告区域などの一部地域を除き31万830戸の開栓作業が完了。当初は1カ月程度での復旧は困難とみられたが、結果的にはこの見立てを良い意味で裏切った。翌17日には応援隊の解散式が行われ、復旧対応はここで一区切りに。ガス局はその後、港工場の復旧工事に軸足を移す。11月29日には震災後初となるLNG船が入港し、12月上旬からガス供給を再開、12年3月には本格復旧にこぎつけた。未曽有の被害にもかかわらず、約1年で震災以前の体制に戻すことができた。

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