【特集2】エリアを越える電力融通のために 皆の強い使命感で計画を達成

2021年6月3日

東日本大震災を教訓に、計画停電を回避すべく始動した国家プロジェクト。工期短縮で挑んだ飛騨変換所の新設工事について、当時の洞所長に聞いた。

インタビュー:洞 浩幸/中部電力パワーグリッド 岐阜支社飛騨電力センター変電課 専任課長(当時:中部電力パワーグリッド送変電技術センター飛騨直流連系工事所 所長)

―2013年に現地調査を開始して、15年に工事に着手。標高1000mを超える山岳地帯の開発面積は13万㎡になりました。

 私が着任したのは17年7月、平地に造成し、コンクリートの基礎工事に入るタイミングでした。ここは自然条件が大変厳しく、冬は積雪が2mを超え、気温もマイナス30℃近くにまでなる。冬場の3カ月間は工事ができないのに、10年はかかる規模のプロジェクトを2年短縮して、20年度内に完了させなければならなかった。大変な現場だと思いました。

―どのようにして工期を短縮したのですか。

 通常の変電所の工事は、平地に造成し、コンクリートを打って基礎ができてから建物を全て完成させます。その後構内を舗装して、電気機器の据え付け工事に入りますが、これでは間に合わない。基礎ができたところから同時に据え付け工事を行うことにしました。多くの工事が同時並行するので、さまざまな重機や資機材を運ぶ車両が狭いエリアに乗り入れる。重機の配置場所や資機材を搬入するルートを、毎日図面に落とし込み、関係者で確認しました。

―最も大変だったのは。

 18年9月4日の台風21号による倒木で配電線が倒れてしまい、現場に電気が来なくなってしまった時です。変圧器を組み立てている工程の時でした。精密機器なのでクリーンルームを作り変圧器のコイルが湿らないよう空調を効かせて作業をしていました。発電機を動かすも燃料が切れ、倒木で道路も通れない。途中までタンクローリーに来てもらい、2日間タンクローリーから工事現場までポリタンクで燃料を運びました。停電の復旧は近隣のお客さまが最優先なので、コイルが駄目になっても仕方がないと覚悟しました。

―コロナ対策も行いましたか。

 昨年の夏は100人ほど出入りしていました。所員は2班体制にし、車両も一人1台で使いました。工事の大変さは誰もが承知だが、コロナはどう感染するか分からない。みんな負担に感じたでしょうが仕事以外でも気を付けてくれて、一人の感染者も出ませんでした。

温かい明かりを届けたい 完成を支えた人たちに感謝

―台風にコロナ、大変でしたね。

洞 その後も想定外のことがありました。10月から実際に電気を流す系統連系試験を行っていた時のことです。年明け、大寒波で全国的に電力需給がひっ迫しましたよね。試験では大きな電力のやり取りが必要なのに、その電気がない。毎日のピーク使用量を見ながら、使用量が少なくなる真夜中ならできる試験を選別し、昼と夜の二交代で行った期間もありました。

―そうして運開を迎えました。

洞 完成した設備に目が行きがちですが、造成工事や基礎工事の厳しい工程に文句も言わず、休みも返上して泥だらけになって仕事をしてくれた人たちがいてこそです。3月31日19時の運用開始時は、彼らの顔がまぶたに浮かびました。所員には「自分たちだけでやった仕事じゃないんだぞ」といつも言っています。9人の所員は強い使命感でこの長い闘いを乗り越えてくれた。電気のスーパーマンだと思いました。たくさんの人と出会い、共に苦労した、本当にいい現場でした。

―これからの飛騨変換所については。

 3.11のような状況の中でも明かりがあれば温かい気持ちになれます。東西で融通できる電力が90万kW増え、今後は、エリアを越えて、より安定的に電気を送ることができると強く感じました。万が一トラブルが起こってもどうすれば一番早く復旧できるか、今も日々考えています。