【目安箱/10月14日】選挙で忘れられた、原子力立地地域の苦悩を知ろう

2021年10月14日

2021年に衆議院選挙が行われる。原子力は論点の一つだが、それをめぐる議論で忘れられがちな問題がある。原子力施設の立地地域の問題だ。この地域の人々は国と事業者による原子力政策に協力してきたのに、原子力発電所の長期停止で経済的な利益が失われ、原子力の先行きが不透明になっているために地域の未来が見通せない状況にある。

筆者は首都圏に住むエネルギーの関係者で、立地地域の声を伝える事がふさわしい立場なのかの思いはあるが、誰もその声を伝えないのでこのコラムで紹介してみたい。

◆届かない原子力立地地域70万人の声

「原子力立地地域に住む人は全人口の0.6%、70万人。その声は社会になかなか届かない」。ある立地する町の町議会議長が語っていた。全国原子力発電所所在市町村協議会の24市町村と準会員6市町村(近接地域も含む)の自治体の人口だ。

日本全体から見ると少ないかもしれないが、70万人というのは大変な数の人だと思う。社会的に人気のない原子力施設と、それらの人々が共存して暮らし、日本の電力を支えてきた。これは、その他の地域に住む99%の日本国民が重く受け止めるべき事実だ。

原子力施設の今ある場所では、主に1970年代から始まる長い地域内での議論の末に原子力施設を受け入れた。そうした場所を報じるメディアで登場する人は、なぜか原子力の反対派ばかりだが、それは少数派だ。多くの場所では、地域の人々は合意の上に原子力を受け入れ、共存している。当然、官民による教育や、施設が身近にあることで肌感覚もあり、住民は原子力の知識があり、落ち着いてそれに向き合っている。こうした地域では2011年の東京電力の原発事故以降に、日本各地でみられた原子力への事実に反する風評の流布も、パニックもなかった。

こうした場所の多くは、原子力発電所と経済的に密接に結びついている。原発は、巨大な電気を作る工場で、そこで何千人もの人が関連企業を含めて働く。地元には雇用の恩恵があるし、発電所に関係した経済活動が行われる。東電の事故以降、そういう経済活動を「利権」とレッテルを張り、糾弾する政治活動家がいた。しかし筆者は不快に思った。部外者がそのような営みを批判できる資格はないはずだ。

原子力を巡って、おかしなお金の動きはあったかもしれない。2018年に発覚した福井県高浜町の元助役が関西電力幹部に金をばらまいていた事例はその一例だ。しかし地元住民はそうしたおかしな動きとは縁がない。原子力施設が地元にある意味を真剣に考え、地域のために、自分の利益のためにと思って、その誘致を受け入れた。原子力を巡る賛否を言うのは自由だが、その発言をする場合には立地地域の人々のことを真剣に考えるべきだ。

残念ながら、原子力全廃を唱える人からは、原子力立地地域の経済活動への配慮で、適切な政策を聞いたことはない。

◆地元の声を聞かない反原発運動

立地地域の人々も、他所からの無責任な発言に冷ややかだ。かつて筆者は、茨城県の原子力施設の近くの旅館経営者が、今から40年ほど前のその地元での反原発運動を次のように語っていた。「原子力反対を叫ぶ人が、勝手に東京から来て、勝手に騒ぎ、勝手に帰っていった。私たちの意見を聞き、話をすることもなかった」。こんな調子の自分勝手な反原発運動は、立地地域の人の心をとらえることはなかった。

今回の自民党総裁選では、河野太郎氏が脱原発と、核燃料サイクルを止めることを強く訴えていた。「核燃料サイクルが止まるということは、使用済核燃料が原子力発電所内にとどまること。私たちとしてはリスクがそのままになるということ。軽々しく言ってほしくない」と福井県の立地町の地方議会議長が、9月に行われたシンポジウムで話していた。そして河野さんの脱原発の主張を、「不安に思っている。私たちの未来はどうなるのか」と述べていた。当然の心配だ。

原発の立地は商業用原発で13道県になる。この前の自民党総裁選では、そこから出ている国会議員票と地元県連票はほぼ河野太郎氏に投票しなかった。原子力立地地域への対応策を出さなかった以上、河野氏のこの選挙での敗北は当然だったかもしれない。

◆原子力立地地域のことを忘れたままでいいのか?

2021年秋に衆議院選挙が行われる。自民党は菅政権における河野・小泉の過激な環境政策を、岸田新政権では採用しない。岸田政権も多くの議論も、エネルギー・環境ではなく「分配」「新型コロナ」を選挙の論点にしようとしているらしい。

そして立憲民主党の原子力への議論は、過激なものではなくなった。同党は五月雨式に政策を打ち出したが、エネルギーの発表は第7番目。明らかに熱意がない。そして表題を「自然エネルギー立国の実現」とし、「原子力発電所のない社会」を目指すとしているが、即座の原発停止は訴えなかった。支援団体で企業労働組合の入る連合に配慮したのだろう。

2011年の東電の原発事故以来、年々関心の低下した原子力問題が、ようやく選挙で表に出てこない状況が生じた。世論や感情に振り回されたエネルギー、特に電力問題が落ち着いて議論ができる状況が生まれた。それは好ましいことだ。(筆者の記事【目安箱/8月18日】選挙に振り回されるエネルギー政策は問題だらけ

しかし原子力をめぐる状況は、東電の事故以来、混乱し壊れたまま、放置されている。そして世間の大半と国政政党から原子力は忘れられようとしている。それで取り残されるのは原子力立地地域の人たちだ。原子力を国策として進めた政府、原子力の賛否について熱く語った、そして今関心を失った日本の多くの人は、原子力施設の立地地域のことを、それをどう考えるのだろう。無責任すぎる。

もちろん各地域にある問題を国のみが解決できるわけではない。地方自治体、そして住民、地元企業の共同作業が必要だ。しかし原子力は、「国策民営」として、建設、運用の過程で国が大きな影響をしてきた事業だ。その国の政策変更で原発が止まり、原子力の未来が不透明になった。原子力災害に直面した福島県は復興という別の問題に取り組まなければならないが、その他の原子力立地地域を国が放置することはおかしい。

原子力発電所の運転停止や廃炉をめぐる支援の形、そして原子力の未来像は国しか示せない。もちろん原子力をめぐり、すぐに万人が納得できる答えが出るとは思えないが、原子力立地地域のことを多くの人が考えない状況は変わってほしい。