【目安箱/1月14日】規制と企業の良い関係を探る 「お上」への萎縮をなくせるか

2022年1月14日

「お上」への委縮が目立つエネルギー業界

原子力規制庁との交渉を担当する電力会社の担当者の東京での会議に、数年前にオブザーバーとして参加したことがある。そこで参加者が、「規制を通るように頑張ります」と、あいさつで口を揃えて決意を述べていたことに、違和感を覚えた。

原子力規制委員会・規制庁の審査は、その要求も審査スピードも理不尽なものが多い。それが各社の過剰な金銭・労力の負担につながり、これはその対応のために集まった会合だ。それなのに、規制庁に文句を言わず、「頑張ります」というのは変だ。

「なんで行政と戦わないのですか」。あいさつの順番が回ってきた時に、筆者は違和感を述べた。その反応に出席者は戸惑っていた。筆者は自分が場の空気を読めないことを反省したが、同時に「お上と争わない」「波風を立てない」という、外から見ると奇妙な電力業界の雰囲気を感じた。

エネルギー産業は総じて、経産省・資源エネルギー庁との深い関係がある。この産業は、インフラであり、運用を間違えば大事故につながりかねないために、規制は当然だ。だが事業者には「お上」に萎縮する態度があるように思う。

もちろんエネルギー業界でも、業種によって行政と規制への態度は違う。自由化の進んだ石油は行政に萎縮せず、自由に活動するように見える。厳しい安全基準に悩み続ける石油小売業は中央・自治体の意向をうかがうのに懸命だ。L Pガス業界は官庁としたたかにと渡り合う。都市ガスは行儀良く、官庁と協調して波風を立てないようにしている。一方で電力は東電が原発事故の後に没落し、経産省や政治家に対して力関係が弱くなってしまった。そして電力各社は今、原子力規制に振り回されている。その姿は気の毒になる程だ。

それでは行政とその規制、そして事業者との間は、どのような関係が望ましいのだろうか。他の業界、他国では、規制が、事業者が手動で作られている。その姿を紹介し、考えてみたい。事業者と規制、行政の関係を考える筆者はエネルギー業界の片隅にいて他業界の規制は付け焼き刃で勉強したに過ぎず、いたらない説明をするかもしれないが、容赦いただきたい。

◆自主規制の存在感が増す金融界

日本の金融界での、事業者による規制との向き合い方の姿を紹介してみたい。そこでは参加者によって市場活動での自主規制である「コード」が作られ、存在感を増している。

日本の金融界では規制が強かったが、1980年代末からのいわゆる「金融ビッグバン」で自由化された。しかし1991年のバブル崩壊から2010年ごろまで続いた金融危機によって行政の存在感が増した。危機が収まり、さらに日本経済の衰退が叫ばれる中で、行政は「コード」に関心を向けた。

先進国で法律は、国民の権利を制限する以上、限定的にならざるを得ないし、国会での議決など制定まで時間がかかってしまう。一方業界のルールならば、広範な規制が行なえ、比較的短期間に決められる。それに官民が注目した。2014年から制定が進んで、資産運用会社、投資家、上場会社を規制している。

もちろん、以上の解説は建前、きれいごとによる説明の面がある。日本のコードは、行政主導で作られている。そして、規制を使って、金融市場を通じて、生産性が低い傾向があるとされる日本企業を変えさせようという目的が強く出ている。コードは、アベノミクスの重要な柱として位置づけられ、行政や金融会への天下り官庁O Bが、意見取りまとめの中心となっている。例えば、株式の持ち合いの禁止、R O E(自己資本利益率、投資の収益性を示す)、E S G投資の促進など、企業の収益性の向上を指示するコードがある

コードによる規制を1990年代に始めた英国では、業界による金融不祥事の防止が目的であった。コードを推奨したO E C D(経済協力開発機構)もその目的を強調した。日本とは意図が異なる。「日本のコードはソフトな形の規制強化のためのもの。ルールが増え、しかも法律と違って曖昧さ、裁量が多く、担当者は苦労している」(投資会社総務担当)という面もあるようだ。

ただし民間が規制作り自主的に参加し、誓約と遵守によってそれを実行するというのは、他業界、そしてエネルギー業界と異なる形の規制だ。

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