【目安箱/6月27日】関電の原発再稼働前倒し 報われない努力に注目と感謝

2022年6月27日

関西電力の美浜原子力発電所3号機(福井県美浜町)の運転再開が、予定した今年10月から、需給逼迫が懸念される8月12日へと、2か月も前倒しされた。

どんなプロジェクトでも、達成の前倒しは大変だ。そして今の原子力規制の混乱と、規制当局の頑迷とも言える姿勢を知ると、関電の前倒しは大きな成果と評価できる。日本は電力不足が慢性化し、今年の夏は全国で電力需給が逼迫する見込みだ。その危機を回避するために、再稼働を前倒しした同社の現場の人々に、努力と活動に深い感謝の念を申し上げたい。

関電は10年以上前、原子力発電所の立地する福井県高浜町で幹部が金品授与や接待を地元有力者に受け、その状況を放置するという不祥事を起こした。そうした行為は批判されるべきだ。同時に、同社の原子力の事業者としてのプラント管理の優秀さは高く評価をしたい。「無能な幹部とダメなマネジメント。有能な職員と現場」は、日本企業の特徴と言われる。関西電力もダメな上層部がいても、現場は仕事をしっかりこなしているようだ。

◆規制当局の過剰規制を乗り越える

再稼働するのは美浜原発(福井県美浜町)3号機で、出力は82.6万k Wになる。規制で義務付けられた特別重要施設(特重施設)の建設が予定より早まったことから、前倒しが実現した。

この特重施設は、安全装置などを別系統で整備し、制御施設や原子炉から離れた場所に建設するもの。テロ対策のためとされる。工事認可から5年と規制委員会は設定したが、規制の審査の遅れ、工事の難航から各プラントで1度は延長が認められた。原子力規制委員会はこの施設を完成しなければ、原子炉の稼働を認めない。

こうした特重施設を作っても、原発の安全性の向上はわずかとされる。工事内容もテロ対策を名目に公開されていない。規制委員会が過剰に安全性を追求しているのかもしれないが、関電はその要求を達成した。

この関電の再稼働は、電力不足の今の状況で、重要な意味を持つ。かつて予備率(供給に対する需要)が5%を切ると、停電の危険からエネ庁、電力会社ともに警戒体制に入った。ところが、この夏、冬は各社の予備率が3%を切ることが常態化する可能性がある。電力の供給体制は停電が起こりかねない綱渡りの状況になっている。今年3月22日は予備率が東京電力管内では一時ゼロになるなど、日本の電力システムは脆弱になった。過剰規制による原発の長期停止が主な原因だ。

しかし政府・与党は7月の参議院選挙前に、原子力規制の改善に踏み出さない。反原発を唱えたかつての旧民主党やメディアは、自分のかつての主張と矛盾するためか、規制を批判しない。原子力規制委員会は独立行政委員会として独立性の高い行政活動を認められており、また法改正は大変であることも確かだが、あまりにも政治と行政の動きが鈍い。原子力をめぐる当事者が、電力逼迫の現実を直視せず、原子力活用に動かない無責任な態度を示している。頑迷な規制委員会は、安全第一を繰り返し柔軟な姿勢を示さない。そうした中で、関電は発電所の再稼働を前倒しした。

◆美浜原子力発電所3号機の再稼働の重み

関西電力管内で、この夏の予備率が美浜3号機の稼働で0.3%上乗せされるという。同社の今夏の予備率の平均予想は4.4%だ。この需給逼迫の状況では、「わずか0.3%」ではなく「0.3%も」上乗せされると認識すべきであろう。

今夏の電力需給は原発の稼働が近日中に行えそうにない、東京、東北電力管内で厳しい。かつて分断されていた各地域の電力会社の配電網は、接続されるようになっている。この稼働は、状況によっては東日本地域の電力逼迫状況を少し改善する可能性がある。

美浜原子力発電所は1970年の大阪万国博覧会に電力を供給し、日本における原子力の商業発電の先駆となった。同所のホームページには、「パイオニアとしての誇りを胸に、さらなる高みへの挑戦を続けていく」という発電所長高畑勇人氏の言葉が掲げられている。発電所員と関連会社のこの矜持が、この成果をもたらしたのだろう。それに感銘と感謝を述べたい。

2011年に福島の原子力事故が起きて、現在に至るまで原子力の実務でも政策でも迷走が続いている。事故の検証と反省、当事者の批判は当然だが、それが過剰になって、原子力をめぐる混乱が発生した。反原発を政治的に利用する政治家や政党、また路上で反原発デモをする政治活動家が原子力現場の実態を知らずに、無責任な言行で混乱を拡大させた面があると筆者は思う。

声の大きなそうした人たちがいる一方で、原子力の現場では、プラントを適切に管理し、安全性を高めた原子力の運用に努力をする電力会社、関連会社の人々がいる。原子力をめぐる過剰で不当なところもある批判の中で、こうした人々を誰も評価しない。感謝もない。その風潮はおかしいと思う。

何気なく使う電気やエネルギーの背景には、安定供給のために黙々と責任を果たす電力会社、関係会社、協力する発電立地地域の人々がいる。私たちは電力やエネルギーをただ使うだけに陥りがちだが、そうした人々の取り組みを評価し、感謝をするべきではないだろうか。こうした責任を果たす人たちが、日本の経済と社会を動かし、支えている。

そして、そうした努力があっても、脆弱な電力システムの姿を見て、「おかしい」と、批判の声を上げるべきであると思う。