【四国電力 本永社長】総合エネルギー事業で新しい価値の創造目指しグループ全体の成長へ

2022年7月1日

「沖縄に電力会社を」 県民に支えられた50年

志賀 この事業は沖縄の未来につながると思います。今後沖縄電力を支えるであろう新入社員や若者に望むことはありますか。

設立当時の本社

本永 以前は沖縄の高校から本土の大学に進み、就職で沖縄に戻ってくる人が多かったです。しかし今は「本土で挑戦しよう」という若者が増えているように思います。今後は彼らを迎え入れるようなキャリア採用も含めた人財確保を検討し、会社の発展につなげていきたいです。

志賀 50年カーボンニュートラル(CN)についてお聞きします。中期経営計画には30年度に26%のCO2削減目標を揚げています。達成についての見通しは。

本永 国は30年温室効果ガス46%削減目標を掲げています。沖縄は水力や原子力がなく、本土に比べCO2ゼロ電源が少ないのが現状のため、26%削減は非常にチャレンジングな目標ですが、さらなる深掘りをしなければならないと考えています。その中で我々が進める火力発電所での木質バイオマス混焼によるCO2削減は、これまで焼却処分されていた県産の建築廃材を有効活用したものであり、地産地消のエネルギー調達となるばかりでなく、建築廃材により圧迫する最終処分場の延命にもつながります。

志賀 風力発電ではどのような戦略を考えていますか。

本永 小規模離島の一部では強風時に倒すことができる「可倒式風車」を取り入れています。八重山諸島波照間島では、可倒式風車とモーター発電機を組み合わせて発電するシステムの実証運用を行っています。20年12月には再エネ由来の電力のみで島内275世帯に約10日間供給しました。今後も徐々に期間を延ばして、離島のCNにつなげていきたいです。

志賀 目標達成に向け大型風車や洋上風力などという考えは。

本永 目標達成に向けては、金武石炭火力発電所への県産バイオマス混焼拡大と建設中のガスエンジン発電所でのLNG利用拡大を軸に取り組み、さらに再エネの導入拡大で26%の削減目標を達成したいと考えています。大型風力発電は導入するにも台風の問題があります。沖縄で実施するには建設基準となる極値風速90m/S以上に耐えうる風車が必要です。現在の技術では難しくなっていますが、沖縄に導入できる機種がないか調査を進めているところです。
 また、沖縄には洋上風力に適した遠浅の海がありません。着床式はサンゴ礁の破砕許可が必要であり、かえって環境への影響を指摘する声もあります。浮体式も、台風の問題をクリアできないことから、今後の技術の進歩に期待したいです。

志賀 昨年4月開始の需要家の屋根を借りる「かりーるーふ」事業など太陽光発電については。

本永 目標のさらなる深掘りには、再エネの導入拡大、特に太陽光事業が必須です。ただ沖縄にはメガソーラーを設置できる適地が少ないため、太陽光パネルをお客さまの屋根に置かせてもらい、台風などの災害に備えて蓄電池を無償設置するPV-TPO事業「かりーるーふ」を展開しています。さらにオール電化にすることで、お客さまにとってCNなライフスタイルになります。この新しい電化提案に取り組んでいるところです。

志賀 「かりーるーふ」事業の手ごたえはいかがでしたか。

本永 初期投資費用が要らず蓄電池の無償設置まで盛り込んだサービスは、お客さまの反応が非常に良く、当初1000件以上の応募がありました。年間200件目標だったところを、施工体制も整え、倍の400件に増やしました。また法人向けの展開も進めています。
 自治体と脱炭素に向けた包括協定を結び、その一環として、先日、公立中学校にかりーるーふを導入しました。学校は地域の防災拠点になっており、避難時の電源確保に役立ちます。また環境教育への活用にも期待しています。

志賀 沖縄本土復帰とともに設立し、経営にはさまざまなハンデを抱えていました。この50年を振り返っていただけますか。

本永 単独系統であること、離島への供給という島しょ県ならではの課題を抱えてきました。また設立直後にオイルショックもあり、当時は石油火力100%であったことから大きな影響を受けました。債務超過に陥る厳しい時期もあり、どのように独立民営していくかが大きな課題でした。

右は松岡初代社長

志賀 当時「東京電力や九州電力の子会社として再出発すべきでは」という意見がありました。

本永 県内でも同様の意見がありました。しかし、大手電力の一支店でなく、沖縄に本社があり、独立運営する電力会社が必要ではないか、と経済界をはじめとする多くの方々が意見を出してくれました。その後、円高および原油価格下落による財務体質の改善、電源開発さんの石炭火力発電所建設による燃料の多様化もあり、1988年10月に民営化することができました。

志賀 民営化達成で「沖縄に電力本社を」という考えは正解だと世に示すことができましたね。

本永 大正解になったと思います。私は88年4月に入社しました。まさに特殊法人から民間になるタイミングで、自由度の高い事業運営になるという期待を胸に飛び込みました。沖縄電力は小規模で系統が本土とつながっておらず、離島を多く抱える特異な電力会社ですが、50年間県民の皆さまに支えられて共に歩んできました。感謝の気持ちでいっぱいです。

志賀 「艱難汝を玉にす」という通り、さまざまな苦労が晴れやかな今日につながったと感じました。ありがとうございました。

対談を終えて

1972年の沖縄の本土復帰と同時に設立した沖縄電力も今年で創立50周年を迎えた。設立直後に石油火力100%の同社を襲ったのが第一次オイルショック。債務超過の艱難を経て民営化を果たしたのが88年。当時新入社員だった本永青年がいま、直面するエネルギー危機、カーボンニュートラルにトップとして挑む。新たに完成した新社屋に相応しい「おきでんグループ中期経営計画2025」を掲げて。(本誌/志賀正利)

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