【東北電力 樋󠄀口社長】地域とともに スマート社会実現へビジネスモデルを転換

2020年9月2日

人口減少や少子高齢化が加速し、社会課題が顕在化する中、この4月に社長のバトンを受け継いだ。社会の変化に対応したビジネスモデルへの転換を図り、社会の持続的発展と東北電力グループの成長の両立を目指す。 

ひぐち・こうじろう 
1981年東北大学工学部卒、東北電力入社。2018年取締役常務執行役員発電・販売カンパニー長代理、
原子力本部副本部長、19年取締役副社長執行役員CSR担当、コンプライアンス推進担当、
原子力本部長代理を経て20年4月から現職。 

志賀 4月1日に社長へ就任されました。いつごろ、どのように打診があったのでしょうか。 

樋口 原田宏哉社長(現特別顧問)から昨年10月初めに社長就任について話があり、大変驚いたというのが正直なところです。咄嗟に「私でよろしいのですか」と問い掛けたものの、すぐに「分かりました」と返事をしたと記憶しています。経営課題が山積しており、「やるしかない」と覚悟を決めました。 

志賀 これまでの電力マン人生で、印象深かったことは何でしょうか。 

樋口 日本のコンバインドサイクル発電の先駆けとなった東新潟火力発電所3号系列の建設工事に携われたことは、とても誇りに思っています。このコンバインドサイクル発電の実用化は、後に、日本産業技術大賞を受賞しています。そして、火力部副部長として電源計画に携わっていた2011年3月に東日本大震災が発生しました。地域に未曾有のダメージを与えましたが、実家の取り壊しや、放射性物質による汚染など、個人的にも大変な状況にありました。そのような中で、震災直後の電力不足の解消のため緊急設置電源の確保に奔走しました。その後、原町火力発電所の所長として復旧工事に従事し、早期復旧を成し遂げられたことは非常に感慨深く思います。 

志賀 原町火力の復旧は、奇跡の復興とも言われましたね。  

樋󠄀口 所長として原町火力に赴任したのは東日本大震災直後の6月末のことでした。18mの津波で壊滅的な被害を受け、太平洋沿岸の火力発電所の中でも最も大きな被害を受けました。港湾内では石炭船が座礁、発電所構内では油タンクが破損し、建物はサービスビルの3階の天井まで壁をぶち抜かれました。石炭を運ぶベルトコンベアも横倒しとなり、巨大な電気集塵機も傾くなど被害は想像を絶するもので、一旦解体して新しく建設し直した方が早いとも思われるほどでした。 

原町火力の復旧は〝奇跡〟と称される

志賀 その困難と思われた復旧工事を、期間を短縮して完了しました。大変なご苦労だったのでは。 

樋󠄀口 当初、3年をかけて全面復旧を目指すことを計画したのですが、1日も早い復旧が当社を救う、そして南相馬の復興のシンボルになると考え、メーカーや工事関係者を含む「チーム原町」が一丸となって、24時間体制で工事に当たりました。その結果、当初の想定より1年早い、2年で復旧することができました。工程を短縮するため、毎日、工事関係者が集まり協議を重ねていたのですが、大手メーカーであっても社長自ら、工場や工事担当箇所に指示を出していただきました。改めて、緊急事態の際は、トップダウンによる指示が必要であり実効性があると身をもって学びました。 

1 2 3 4